不登校 息子が不登校になってから、今までの流れ

不登校

どうも

減点パパと申します。

 

今日は

わが子が不登校になってから

今までの流れを

お話しさせてください。

 

わが子は

不登校になってからというもの

 

穏やかな表情は見られなくなり、

言動も荒々しくなりました。

 

こころがささくれ立っている

そんな感じでした。

 

登校していないことが問題なのではなく、

 

10才の

まだ幼い子供の

こころがささくれ立っている

 

この状態がおおきな問題でした。

 

そして、

この状態が続くことはさらに問題です。

精神衛生上、良くありません。

 

一刻も早く

この状態をやわらげ

解消してやる必要がありました。

 

笑顔で、

おだやかな生活をおくる

 

これが、

10才の子供のあるべき姿です。

 

再登校できるようになるのは

後でよい

 

ささくれ立っている、

わが子のこころの状態を

なんとか改善してやりたい

 

それが

わたしの願いでした。

 

わが子は

小4の2月から、小学校卒業まで完全不登校。

 

中学1年生では、週末の放課後登校を約1年。

2年生から普通に登校したものの、

 

3年生から再び不登校になり

そのまま卒業。

現在のところ、

進学していません。

 

しかし、

最近になって

とても大きな変化がありました。

 

「やりたいことが見つかったから、

そろそろ動き出してみようと思う。」

 

わが息子は

自分から、そう言いだしたのです。

 

夢にまで見ていた光景です。

 

わたしは、この日が来ることを願い、

毎日毎日、

ひたすら祈っていました。

 

長くてつらかった、この日までの道のり。

「この先、

いったいどうなっていくのだろう」

 

そう考えると

ご飯がのどを通らない日もありました。

 

わが子の将来に大きな不安を感じていました。

 

それがなんと

自ら動き出してくれたのです。

 

息子の表情はとても明るくなり、

話す言葉もあきらかに

おだやかになりました。

 

わたしや妻に何かを言われると、

 

「そうだね」

 

おだやかな口調で

言われたことを肯定する言葉を出すようになったのです。

 

わが息子が

小4の2月に不登校になってから

いままでの道のりを

書いていきたいと思います。

小4の2月、不登校になった

わが子は小4の2月に不登校になり

5年生、6年生は完全不登校でした。

 

6年生の12月、

「小学校への復帰は見込めないな」

そう思った私は、

 

「中学校へつなげてもらおう」

そのように考えて

小学校の校長先生にお願いしました。

 

小学校に在籍中の学校復帰に

わずかな期待を抱きながらも

 

何とかして

息子を中学校につなげたい

 

いろいろ協力してくださった

小学校の先生方に対して

 

中学校で学校復帰することで

恩を返したい

 

そのように考えたからです。

 

わが息子は

卒業式に出席することもなく

中学校へ入学しました。

 

小学校の時の話は

別の記事で

詳しく書いてあります。

 

ここで書いてしまうと

あまりに長くなってしまいますので

割愛させてください。

中学の担任が家に来てくれた日

中学校の入学式に

息子は

出席しませんでした。

 

入学式の翌日、

担任の先生が

家庭訪問に来てくださることになっていました。

 

先生は、

思っていたよりもより早く

来られたので

その時間にわたしや妻は帰宅途中であり、

まだ家についていませんでした。

 

息子は、

初対面である担任の先生と

二人だけで

玄関で話をしたのだそうです。

 

これはとても大きな一歩です。

 

会ったことも

話をしたこともない人と

来訪1回目で

応対出来るなんて

思ってもみない展開でした。

 

長身で、すらりとした若い男性の先生は、

「俺の印象はどう?」

 

名前を名乗った後で

いきなり息子に

そのように聞いてきたそうです。

 

「いや、どうって言われても・・・」

息子は

いきなり投げかけられた直球に

タジタジであったようですが

なんとか対応できたようです。

 

帰宅したわたしや妻に

その時のことを

説明してくれました。

 

先生とは、相性が良かったようです。

 

いきなり投げかけられた直球が

むしろ良かったのだと思います。

 

先生は、理科の担当で

わが息子が好きな科目が

理科であったことも

関係していると思います。

 

その日から毎週末の夜、

担任の先生の家庭訪問が続きました。

放課後登校

息子は、

「放課後に学校に来てみてはどうか?」

 

担任の先生に促されて

放課後登校をするようになりました。

 

週末だけの登校でしたが、

1時間半から2時間ほどを

放課後の学校で過ごしました。

 

放課後の時間ですと

部活動を終えた生徒が

まだ学校に残っています。

 

息子が放課後登校をしていますと

小学校の旧友だった生徒が

入れ替わりに息子のところに来るのだそうです。

 

一緒に話をしたり

バレーボールをしたりと

 

息子の旧友たちは

とても自然な形で

息子の学校復帰に力を貸してくれました。

自らの意志と足で登校を始めた

息子は、

中2の始業式の日に

 

自らの意志と足で

登校を始めました。

 

その日は

不登校になった

小4の2月から

3年2か月がたった日でした。

 

今でも忘れられません。

4月なのに

雪がモサモサと降っている朝でした。

 

雪の降る中

学生服を着て、学校指定のリュックを背負い、

傘をさしながら登校していく我が息子

 

うしろ姿の息子を

 わたしは2階の部屋の窓から

見ていました。

 

こんな日が来るなんてな

 

そんな言葉を

こころでつぶやきながら

スマホで写真を撮りました。

 

ガッツポーズではなくて

しんみりと

思いがこみ上げてきたことを覚えています。

勉強の遅れ挽回と部活動への参加

中学校では

復帰した、息子の学力挽回のためにと

各教科の先生方が

いろいろとサポートしてくださいました。

 

おかげ様で

息子は勉強の遅れを取り戻すことができ、

成績もどんどん上がり

学年でも上位の方にまでなりました。

 

背が高かった息子は

部員不足で困っていた

バレー部から声がかかり、

 

最初は

一時的な入部のはずだったのですが

正式に入部して部活動に励み、

汗を流して帰ってくるようになりました。

 

部活動は休日にもあり、

試合で遠征したときは

わたしたち親も

喜んで観戦に出かけました。

 

体育祭では

よさこいソーランを披露し

友人と笑顔で話す場面も見ることが出来ました。

 

息子の目は

らんらんと輝き

不登校であった時とくらべて

生き生きと変わりました。

 

学校生活を謳歌するようになったのです!

 

わたし、こんなことも心配していました。

 

わが子は

団体生活をおくれるようになるのだろうか?

 

わが息子が

不登校の状態であったころ

 

仕事中に通りかかった、とある中学校で

まさに体育祭の練習に遭遇した時のことです。

 

学校に復帰できたとしても

わが子は集団行動についていけるのだろうか?

 

体育祭の練習を見ていて、

そのような場所にいるわが子を

想像できなかったのです。

 

そんなことをマジメに心配していた

あの頃が嘘のようでした。

 

人間、

かわれば、かわるものです。

 

一歩を踏み出す土台を作ってやれば

その後は、案外うまく回る

そういうことなのだと思います。

 

そして

息子の中学2年生の日々が過ぎていきました。

コロナの影響でサイクルが狂い始めた

2020年の3月、

数日前に突然決定した

3月1日からの全国一斉休校。

 

これにより、

わが子のサイクルが狂い始めました。

 

100年に1回のことともいわれる

世界的な混乱が

わが子のサイクルも狂わせてしまったのです。

 

1か月以上にわたる

部活動が禁止された

長期の休みです。

 

当時、品薄だったニンテンドーSwitchを

ギリギリセーフで入手し、

Switchを手放さない毎日が続きました。

 

学校に行っていた時とは違い

不規則な生活になりました。

 

不登校であったあの頃と

似たような生活になっていました。

 

息子は

あの頃を思い出してしまったのかもしれません。

けがをきっかけに雲行きが怪しくなった

一斉休校明けの

ようやく登校が出来るようになった

部活動の初日でした。

 

息子は部活動で

ジャンプした後に

足をひねってしまい、ケガをしました。

 

診断は、

「右足の靱帯損傷」

でした。

 

息子はその日から

松葉杖をつかって

生活をするようになりました。

 

部活にも参加できません。

 

ようやく

一斉休校から解放され、

 

からだをおもいきり動かして

部活動に励もうと思っていたのに

それが出来なくなったのです。

 

つまり

汗を流すことが出来ないのです。

ストレスを解消できていないのです。

 

 唯一の楽しみであった部活動が

できなくなったことで

息子は落ち込んでいきました。

 

だんだん、雲行きが怪しくなり、

学校を休む日が増えました。

 

中学3年生、

部活動の最後の晴れ舞台である

中学校総合体育大会の日が迫ってきていました。

 

もしかして

大会に出ないつもりなのだろうか?

 

夜になって暗くなっても

部屋の電気をつけずに

部屋の中に閉じこもり、

 

登校しない息子を見て

不安が募りました。

 

さいわい、

試合の前日は登校して

翌日の試合の準備をすることは出来ました。

 

そして試合の当日

足のけがは

完治してはいなかったのですが、

 

最後の試合ということで

試合に出場しました。

 

試合には負けましたが

そのあとの打ち上げの食事会には

 

3年生部員とその親が集まり、

仲間と笑顔で話している姿が見られました。

 

試合も終わり、

区切りがついて

また登校し始めると思っていましたが

 

この試合の日の翌日、

再び、

息子は不登校になりました。

 

私には

その意味が分かりませんでした。

 

息子の心の中に

何が引っかかって

何が支障となっているのか

見当もつきません。

 

あとは

高校受験に向けて

準備をすればいいだけだと思っていたからです。

 

中学2年の4月

自らの意志、自らの足で

向かった始業式。

 

学校に向かって歩いている

息子の姿を見て

安堵していた私です。

 

それは、その通りであり事実です。

 

いっぽうで、私の心の中に

引っかかっているものがありました。

 

息子が登校する気になったのは

「こころの中で引っかかっていた何か、

それが解消・解決できた結果なのか?」

 

「解消・解決できたから、

学校に向かう気になったのか?」

 

その点について

わたしの頭の中にはハテナマークが

残っていました。

 

だから、

中2で

息子が登校するようになってからも

息子の日々の様子は

書いていました。

 

自ら登校を始めたのは

もちろん、嬉しかったのですが

 

息子の抱えている何かが

 解消・解決された結果のように思えなかったんです。

まだ、何かが起こりそうな気がしていたからです。

進路希望

中3の11月、

不登校な状態が続いていましたが、

進路希望を提出する期限が

迫っていました。

 

先生が

家庭訪問で来てくださっても

息子が部屋から出てくることは

ありませんでした。

 

わたしが中学校に出向き、

息子の進路として

考えられる選択肢を

担任の先生からお聞きしました。

 

息子を私の部屋に呼び、

A4の紙に印刷した

「今後の考えられる選択肢」を息子に見せて

説明しました。

 

地元の進学校は

出席日数の点で引っかかり、

希望しても合格の望みが薄いこと。

 

つぎに、

わたしの母校でもある

地元の工業高校は、

 

息子の成績であれば、

問題なく合格できるであろうとの

先生からの情報。

 

「工業高校は実験・実習などが多く、

息子さんにとって興味が持てると思いますよ!」

 

そのように、先生が言っていたと

息子には説明しました。

 

ほかにも、

定時制、通信制などの学校のメリット・デメリットを

息子に説明しましたが

返事はなく、反応もほぼありませんでした。

 

話の最後に

息子に対して言ってしまった言葉があります。

 

「お前は、2年生から、自分の意志で登校をはじめたけど、 

お前の中で、何かが解決できたからじゃなかったんだな」

 

責めるつもりなんてありません。

 

「やはり、

解決させてやれていなかったんだな」

 

自虐的な意味で言った言葉でした。

 

この言葉がきっかけで、

その日を境に

息子は

部屋に引きこもりました。

引きこもり

息子は部屋に引きこもるようになりました。

親がいるときは

部屋から出てきません。

 

部屋はいつも真っ暗。

部屋にいるのか、わからないくらい

物音ひとつ、聞こえませんでした。

 

唯一、

弟やばあさんがいるときは

顔をみせるときもあったようです。

 

まさかこんなことになるなんて!

 

こんな展開になるとは

思っていませんでした。

 

なんで、あの時

俺はあんなことを言ってしまったのだろう?

 

15歳の子供に言う言葉じゃなかった

 

あの時言ってしまった言葉を

後悔しても、後悔しきれません。

 

めちゃくちゃ後悔しています

 

この時、

わたしの精神は最悪で危険な状態でした。

 

「何とかしなくては・・・」

 

くる日もくる日も

そうやって考えていると

からだの具合が悪くなってしまいました。

 

息子が不登校になって

半年くらいのときに陥った

 

私自身の「自傷行為」

 

自分をブン殴りたい

ボコボコにしたい

あの時と同じ気持ちになりました。

 

あっ、ダメだ。

これはヤバイ!

 

いま、

何とかしようと思ってはいけない、

なんとかしようと考えてはダメだ!

同じ轍を踏んではいけない

 

そう考えたわたしは

妻と学校に出向き、

 

「本人の意思を確認できないため

進路希望を提出しない」

 

という明確な意思表示をしました。

 

わたしは、

 

「いま、

ここでつぶれてしまってはいけない」

 

そう考えて

自分と家族を守る選択をしました。

 

問題を先送りすることで

なんとかやり過ごしたということです。

引きこもり解消

「暖かくなれば、

気も緩んで

部屋から出てくるだろう」

 

わたしは、

息子の引きこもりについて

希望的観測で捉えていました。

 

たしかに

暖かくなってほんのすこし

動きがありましたが

引きこもりは継続していました。

 

12月から始まったわが子の引きこもりは

意外なきっかけで解消されました。

 

部屋に引きこもってから

約9か月がたっていました。

 

わが家では

子猫を飼い始めました。

 

保健所に保護されていた子猫のことを

妻が新聞で知り、

わが家で飼うことにしたのです。

 

当初は、1匹の予定でしたが、

「遊び相手がいないとかわいそうだ」

ということで

姉妹の猫ちゃん2匹がわが家にやってきました。

 

息子の部屋のドア越しに声をかけ

私や妻、二男が不在の時の

猫ちゃんのお世話を頼んだのです!

 

お水やご飯の準備

日中の子猫の様子を見ておいてちょうだい!

お世話を頼むよ!

 

そのように

息子に頼んで出かけたのです。

 

猫ちゃんを飼い始めたのは

引きこもり解消にと

 

意図したことではなかったのですが、

猫ちゃんの癒し効果はすぐに表れました。

 

子猫が我が家に来た日から

約1週間ほどで

息子が姿を見せるようになったのです!

 

そして息子は

以前とおなじように

みんなと一緒に食事を取るようになりました。

 

暖かくなって

息子に

ほんのすこし動きがあったとき、

 

息子は

たぶん、何かのきっかけを探していたのだと思うんです。

 

引きこもりの状態から抜け出す、

何かのきっかけです。

 

もっと早い時期に

猫ちゃんたちを飼い始めていたなら

 

もっと早く

引きこもりの状態から

脱出させることが出来ただろうと思います。

やりたいことが見つかったと言った日

猫ちゃんが来てからというもの

息子の表情は和らぎました。

 

猫ちゃんの

頭や体をなでてやると

 

猫ちゃんは

ウットリとして喜ぶんですよね。

その癒し効果だと思います。

 

猫ちゃんが我が家に来る前よりは

息子の表情は

明らかに柔らかくなったんです。

 

しかし、

まだ固さが残っていました。

ため息をついているときもありました。

 

これからどうしていこうか?

 

息子は、

ずっと考え続けていたのだと思います。

 

わたし自身も

考え続けていました。

 

今後の選択肢を示して

息子と話し合った方が良いのか?

 

息子が、自分から言ってくるのを

待つべきなのか?

 

考え続けながら、時間だけが過ぎました。

 

しかし、

その日は突然訪れました。

 

「中学の時の担任の先生に相談してみたい」

 

息子が自ら、そう言いだしたのです!

 

そこからは

トントン拍子です。

 

妻が、先生に連絡をして

母校の中学校に相談に行くことになりました。

 

息子が相談しに行った日は、

息子を妻が車で送っていったものの

 

先生との相談には、あえて同席せず、

息子は一人で先生に相談したそうです。

 

嬉しかったですね、

最高の日でした!

この日を待っていたんです、私。

 

実は、ウラ話があるんです。

 

中学の卒業式の日、

息子は卒業式に出席せず、家にいました。

引きこもり状態の時です。

 

家に卒業証書を持ってきてくださった先生に

わたしは、事前にあるお願いをしていました。

 

「息子は卒業式に出ないと思う、

最後の日に、先生が家に来てくださったら

こう言って欲しい。」

 

「まだ俺は、この中学校にあと2年いる。

いつでも相談に来なさい」

 

そのように息子に言って欲しいと先生にお願いしました。

 

先生は、卒業式が終わってから

わが家に来てくださり、

 

部屋から出てこなかった息子に

ドア越しに声をかけてくださいました。

 

そしてお願いしていたことばを

かけてくださったのです。

 

その日から、約11か月。

先生がかけてくれたその言葉が

現実のものになりました。

 

おそらく、

息子はその言葉を覚えていたのだと思います。

農業をやりたい

 息子が中学校から帰ってきたので

どういう話になったのかを

息子に聞いてみました。

 

「農業をやりたい」

 

我が息子は

中学の時の担任の先生に

そのように言ったのだそうです。

 

わたしはてっきり、

進学のことを相談しに行ったのだと

思っていましたから

意外な展開でした。

 

自給自足的な生活をするための農業なのか?

 

農場や農園を大規模に経営したいということなのか?

 

息子がどういう意図で

農業をやりたいと思ったのか

わたしには、

よくわかりませんでした。

 

しかし、

「やりたいことが見つかった」と

息子がみずから言い出したのに

 

「話の腰を折るようなことはしてはいけない」

 

わたしは、そのように考えて

そのときは、深く追求しませんでした。

 

翌日になると、

「お父さん、オレ、鳶やりたい。

とび職の人知らない?」

息子はわたしにそのように言ってきました。

 

「おまえ、

中卒で出来る仕事を探していないか?」

 

わたしがそういうと

息子は、苦笑いをしました。

 

「おまえは、スタートが遅れただけなんだよ」

「不登校であったことで

お前の将来には何の制限もないんだよ!」

 

「いまから、高校を出て、

大学に入り、就きたい仕事にも就けるんだよ」

 

私が息子にそう言うと、

「あーそうか」

息子の口からはそんな言葉が出ました。

 

やはり、まだ16才のこどもです。

 

「中学卒という学歴で

制限された中で生きていかなければならない」

 

息子が、

そう考えていたことが分かりました。

 

 中学校の元担任だった先生への

2回目の相談で

息子は

通信制の学校に願書を出すことになりました。

 まとめ

わが子が不登校になってからの

経過について書いてきました。

 

通信制の高校に進むことにしたことで

今、息子は

中学校の時の教科書を引っ張り出して

自主勉強を始めました。

 

ノートに書いてある字は

筆圧も強く、

しっかりとしています。

 

「やりたいことが見つかったから、

そろそろ動き出してみようと思う。」

 

息子がそう言いだしたとき、

わたしは息子に聞きました。

 

「いま、どんな感じなの?」

「詰まっていたものが、

スポンと抜けたような感じ?」

 

それに対して息子は、

「うん、まあそうだね!」

 

おだやかな口調で

息子は答えました。

 

息子が自ら動き出してくれたことで

わたしの不安は大きく減りました。

 

「これまでが、これからを決める」

そうではなくて、

「これからが、これまでを決める」

 

私は、

我が息子を、

なんとしても

そこへ導きたいと思っています。

おっさんは、まだまだ頑張ります!


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