どうも
減点パパと申します。
いま、
わが息子は
引きこもりから脱出し、
通信制の高校へ通っています。
表情や口調は
とても穏やかになり、
高校生活を満喫しています。
今思えば、
ここに辿り着けるようになったのは
小学校の校長先生との
「出逢い」
があったからだと思っています。
小学4年で不登校になったわが子。
「大人に対する不信感」
は、少なからず抱いていたと思います。
それが、
「信頼できる、大人もいるんだ」
そのような考えに変わっていったのは
折にふれて、
息子と繋がろうとしてくださった
小学校の校長先生との出逢いが
とても大きかったと思います。
そして
その校長先生からの
わが息子への
絶妙なアプローチのおかげだと思っています。
わが子が不登校から引きこもりを経験し、
そこから立ち直れたのは
「人との出逢いに恵まれたこと」
だと思います。
引きこもり状態から抜け出そうと
もがいていた、わが息子は
「中学の担任だった先生に、
進路の相談をしたい」
そう言って母校を訪ね、相談した後に
通信制の高校を選びました。
「あの先生なら、相談できる」
わが息子は、そう思ったのでしょう。
「あと2年、俺はこの中学にいる。
いつでも相談に来なさい」
欠席した、卒業式のあとの家庭訪問のとき、
先生は息子に言ってくださいました。
息子は、
その日のことを思い出したのでしょう。
「大人に対する不信感」は
小学校の頃より、大分、薄れていたのだと思います。
人との出逢いに恵まれたことで
わが息子は
引きこもりから脱出することが出来ました。
今日は、
わが子が不登校になった後の
小学校との校長先生とわが息子の
「出逢い」について
書いていきたいと思います。
小4の2月に不登校になったわが子は
そのあと一度も登校することなく、
修学旅行や卒業式に出ることもなく
卒業しました。
しかし、卒業まで
学校との
「接点」
が、皆無であったわけではありません。
私自身が、
息子を学校に繋げようとして
やってみたこともあります。
地域の行事で、おもいがけず
学校側と接点ができたものもあります。
また、
学校側が
なんとか息子とつながろうとして
やってくださったこともあります。
今日は、
それらを紹介させてください。
月1回のスクールカウンセリングと面談
夫婦で、月1回のスクールカウンセリングと
それが終わった後に
学校側と面談を継続していました。
前回のカウンセリングの後に
起きたこと(困ったこと、良かったこと)
をお話しし、
何を感じて、それに対してやってみたことを
説明しました。
カウンセラーからは
専門知識に基づくアドバイスをいただいたのですが
こちらの話を聞いていただくだけでも
ずいぶん楽になりました。
そして、
その日のカウンセリングの要点は
カウンセラーと学校側が共有し、
結果、親側と学校側との面談がスムーズに行われ、
息子の今後の方向性(かかわり方、導き方)
について合わせることが出来ました。
地域の行事での学校側との接点
地域の運動会でのこと
私の住んでいる地域では、
部落の老若男女が参加する
運動会があるんです。
そこには、
息子が通っていた小学校の校長先生が
来賓として招かれるのが
恒例となっていて、
その日も、校長先生が出席されていました。
その日、陽気に誘われたのか、
わが息子は
ふらりと自転車に乗り、
運動会の会場に訪れ
離れた場所から見ていました。
私:「採点係をやってくれないか?」
息子:「いいよ」
競技の結果を集計し、
黒板に書く任務を息子に与えました。
それに校長先生が
気付かないはずがありません。
わが息子に近づき、
「でっかくなったな!」
先生が、そう言って、
息子の肩を叩くと、
息子からの拒否反応はなく、
照れ笑いを浮かべていた事を思い出します。
これでわが息子は
校長先生を通じて、学校との接点を作ることが出来ました。
地域のお祭りでのこと
地域の神社の夏祭りがあります。
この時も
校長先生が招かれます。
神社の境内には
子供会主催の屋台がありました。
焼きそばや焼き鳥
かき氷、フランクフルトがありました。
私は、わが息子に
焼き鳥を焼く係を任命しました。
息子が一生懸命に焼いた焼き鳥は
「お兄ちゃん、上手いね」
と評判が良かったんです。
その焼き鳥を
校長先生にお渡しして
お持ち帰りいただきました。
わが息子が
「地域の中でたくましく育っていること」
「地域活動を通して、
自己肯定感を高めてきていること」
言葉で説明しなくても
校長先生にはわかっていただけたと思います。
学校側の工夫による接点
校長先生からの依頼
小学校六年の10月頃のことです。
「息子さんに、
ちょっと強めの刺激を与えてもいいですか?」
校長先生から私に電話がありました。
「どんな刺激だろう?」
私は一瞬、迷いましたが、
「はい、お願いします」
そう言って、校長先生にゆだねることにしました。
その時期、
息子の同級生たちは、
すでに中学校への体験入学を終わらせていました。
わが息子からは
残り少ない小学校在籍中の再登校や、
中学からの学校復帰だったりを
考えているように感じられませんでしたので
「強めの刺激」
という言葉に魅力を感じました。
まもなく、
校長先生からわが子に直接、電話がありました。
「学校にある、
壊れて不要になった
電気製品を粗大ゴミに出したい。
大きいものもあるから、
ネジを外してコンパクトにして欲しい。
息子は、
「良いですよ!」
二つ返事で、先生からの依頼を引き受けました。
次の日の夕方、
校長先生は
壊れて使われなくなった電気製品を持って、
わが家を訪れて下さいました。
「電気製品の中には、基板があって、
だいたい、四隅のネジで固定されているんだ」
「ネジを外して、引っ張っても取れなかったら、
どこかがまだ繋がっているということだよ」
「はんだ付けされているリード線は、
ニッパーで切っていいから。」
そう言って、実際にネジを外してみせて、
息子に分解の方法を教えて下さったそうです。
「そうそう、そんな感じ、それでいい。
分解したら、この箱に入れておいてくれ」
そう言って、校長先生は帰っていきました。
数日後、
「どうだい、
分解はうまくいっているかな?」
校長先生は、
息子に再度、電話をかけてきて下さいました。
息子:「ちょっと、外せない所があって」
先生:「じゃあ、夕方行くから」
校長先生は、その日の夕方
わが家を訪問して下さいました。
私が仕事から帰ると
校長先生とわが息子が
肩を並べて分解している姿が
目に入りました。
分解をやらせただけでなく、
やれているかを確認してくださったのです。
やれているか?
やれていないなら、やれるようにサポートする。
やれることも大事だが、
すべては、この子と繋がるため、
そして、繋がりを深めるために
校長先生がとった行動だと思います。
まとめ
月1回のカウンセリングと面談で
わが息子の今後の導き方を
学校側と合わせることが出来たこと。
地域活動への参加で
校長先生を通じて
学校との接点を持てたこと。
親としてのそれまでの熱意が通じたのか
校長先生が
わが息子向けにカスタマイズされた方法で
刺激を与えてくださったこと。
それにより、
小学校での登校復帰にはならなかったものの
中学校にスムーズにつながることが出来ました。
「電気製品をネジを外して分解させる」
この発想は、
「学校から距離を取っている
男子児童とどう繋がるか?」
これを考え続けた結果、
生まれたアイデアだと思います。
男子児童というのがポイントです。
女子なら、同じ手法は使えないでしょう。
アイデアに優れているだけでなく、
アフターケアが絶妙です。
「どうだい?うまくやれているかい?」
この声掛けは、
「なんとしてでも、この子と繋がりたい」
そんな気持ちが
電話をかけてくださったタイミングに
現れていると思います。
小学4年で不登校になった息子が
当時、抱いていたであろう
「大人への不信感」
が、
小学校の校長先生とのふれあいを通して
徐々に
「信頼できる、大人もいる!」
というように変化していったのでしょう。
校長先生が
そのように思わせてくださったのだと
思っています。
その経験が、根っこの部分にあったからこそ
引きこもりから脱出するために
「信頼できる、大人に相談してみよう!」
そう考えることが出来たのだと思っています。
そして、
それによって良い方向に
導いていただけたのだと思います。
ひとりで悩まずに
誰かに相談する。
学校の先生や
スクールカウンセリングで相談してみることは
とても大事なことだと思うのです。
息子が不登校になって
右往左往していたばかりの私でしたが、
小学校の校長先生との出逢いに
大きく助けられました。
そして、その時に蒔かれたタネが
わが子が小4で不登校になったあの日から、
6年と2か月たって
花が咲くとは考えてもいませんでした。
「いつか、花を咲かせてやりたい」
とは思っていましたが、
タネを蒔いていたのは
じつは、校長先生だったことに
いま、気づきました。
この場を借りて
校長先生や中学校の担任の先生に
深い感謝の気持ちを書いておきたいと思います。
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