「不登校 親のせい」

不登校

どうも、減点パパと申します。

 

今日は、

「不登校 親のせい」

というテーマでお話しさせてください。

 

私自身、

不登校の子を持ったことがあります。

 

この記事を読んでいただければ

「不登校を親のせいと

考えてはいけない理由」

を理解していただけます。

 

それを分かっていなかった私は、

自分で自分を責めてしまい、

自傷行為まで至りましたが、

 

自分を責めたことで得られたことは

何もありません。

 

私の失敗談を読んでいただくことで

自分のせいだと考えてしまったことで

起きてしまう

 

負のスパイラル

を回避することが出来ます。

 

私の息子(長男)が不登校になったのは、

当時(小4の2月)でした。

 

それは、新築した家に引っ越しをして

ちょうど1週間ぐらいたったある日のことでした。

 

家の完成が予定よりも大幅に遅れたため、

ようやく入居することが出来て、

 

安堵していた時期であり、

新居ではじまった新しい生活に、

明るい展望しか持っていなかったわけです。

 

そんな中で、

つい、昨日まで

普通に登校していた我が息子が、

不登校になるなど、夢にも思っていませんでした。

 

不登校になる予兆というか、

登校を渋るなどということは

これまで全くありませんでしたので、

 

まさに

「晴天の霹靂」

と言えるほどの事態が、

突然にわが家に起きたのです。

 

私には、二人の息子がいます。

不登校になった長男と、

二つ年の離れた二男の二人兄弟です。

 

長男は小さいときから、

些細なことでかんしゃくを

起すことがありました。

 

長男を見て、私が感じていたのは、

 

「本人がそうしようと思って、

(意識的に)

かんしゃくを起しているのではない」

という事でした。

 

言葉でうまく言えないのですが、

 

「(長男は)

かんしゃくを起こしている自分自身に、

かんしゃくを起こしている」

そんな感じだったんです。

 

一般的に考えて、

「かんしゃくを起す」

ということは、

 

見ていても気持ちのいいものではありませんし、

なにより、良い傾向ではありませんよね。

 

幼いころから息子を見ていて、

「(かんしゃくを起してしまうことを)

改善しないと、

この子の将来において

マイナスになってしまう。」

 

「このままじゃだめだ、

かんしゃくを起してしまう息子を

なんとかしてやりたい」

 

そのような気持ちを、

息子が幼いころから

ずっと持ち続けていました。

 

「かんしゃくの改善」という点では、

考え続けていたのですが、

 

その課題が残っている中で、

「不登校」という新たな展開になるとは

予想もしませんでしたし、

あたまの片隅にもありませんでした。

 

なぜ、学校に行かないんだろう、

行きたくないんだろう?

 

どういう理由で行かないのか、

行きたくないのか。

わたしは、

それだけは知りたかったのです。

 

どうやって聞き出そうか、

なんと言って話を切り出そうか、

 

私は、息子に聞き出すタイミングや、

かける言葉を考えていました。

 

ある日、車で遊びに連れ出して、

家に帰ってきたときです。

 

息子が車から降りようとしている場面で、

私が話しかけました。

 

車で走っているときには、

「学校にかかわる話は一切しない」

と決めていたんです。

 

そんなことをしたら、

今後、

(警戒して)車に乗らなくなるからです。

 

私:「○○(息子の名前)、

どうした?学校で何かあったのか」

息子:「・・・べつに」

 

私:「イジメられているのか?」

息子:「それは無い、絶対ない」

 

具体的な話は聞くことができませんでしたが、

イジメについて、

息子は全否定しましたので、

その点では安心しました。

 

もう少し、話をしたかったのですが、

その場の雰囲気で、

それ以上の深追いをすることは、

あえてしませんでした。

 

結果、私が知りたかった、

「(息子が)どういう理由で

学校に行かないのか、

行きたくないのか」

 

そのことについては

聞くことができませんでした。

 

しかし、

ついこないだまで登校していたのに、

なんの理由もなく、

不登校になるはずがありません。

 

何かしらの理由があるはずです。

その理由は、ひとつかもしれないし、

複数あるのかもしれない。

 

息子が不登校になった理由、

その手がかりを得るために

私は学校を訪ねました。

 

当時の担任の先生とお会いし、

息子の学校での様子を聞きました。

 

担任の先生も、

「(不登校になった)

理由に心当たりがない」

 

とおっしゃっていたのですが、

話を聞いていく中で、

私にはピンとくることがありました。

 

インフルエンザが流行っていたころ、

学校内では、「マスクをつけなさい」と

先生たちが生徒に繰り返して指導していたそうです。

 

わが息子は、

先生たちが「マスクをつけなさい」と

繰り返して言うので、

 

それに反抗した息子は、

授業中なのに友達数名と

教室の外に出たことがあったそうです。

 

私は、息子とずっと一緒に暮らしてきましたから、

 

「息子が何を嫌がるか」

についてはわかっているつもりです。

 

「(マスクの着用について)

自分ではそれほどの必要性を感じられない」

のに、

 

「先生たちからはマスクの着用を強要される」

それを腹立たしく思い、

授業をボイコットしたのでしょう。

 

そして、ここからは私の予測なのですが、

マスクの着用だけではなくて

 

「今後の学校生活において、

自分ではそれほどの

 

必要性を感じられないことについても

受け入れていかなければならない」

 

そういうことを考えたときに

「学校で授業を受けている自分を

想像できなくなったのだ」

と思うんです。

 

じゃあ、それだけなのか?

不登校になったのはそれだけの理由なのか?

実を言いますと、

私自身に、思い当たることがありました。

 

不登校初期から半年くらいの間、

「もしかして、俺(親)のせいなの?」

っていう気持ちがあったのです。

 

そしてその気持ちが、

時間の経過とともに強くなり、

私の心の中をだんだんと支配していきました。

 

そんな、あのころの自分に

強く、言いたいことがあります。

 

「おまえ、

そんなふうに考えるな!」

「息子が不登校になったのは

 

自分のせいだなんて、

ぜったいに、思うんじゃねえぞ!」 と。

 

「これから起きてくる、

いろいろなことを

乗り越えなきゃならないのに

そんなこと考えていてどうするんだ、

 

そんな気持ちは、

たったいま、

自分の心の中から捨ててしまえ、

しっかりせい!」 と。

 

息子が不登校になったのは自分のせいではないかと、

思い詰めていたあの頃の自分に

 

声を高くして、

肩を揺さぶりながら、言ってやりたいのです。

 

なぜ、そう考えなくてはダメで

そのように考えたほうが、

なぜ良いのか?

 

不登校の子をもったことのある私が、

あの頃、なにがあったか、

 

自分が体験したことを思い起こして

あの頃から数年たった、今だからこそ言えること。

 

「息子が不登校になったのは、

もしかして、俺(親)のせいなの?」

絶対にそのように考えてはいけない、

その理由を今からお話しさせてください。

「俺(親)のせいなの?」と思ってはいけない理由

息子が不登校になってから、

だいたい半年間くらいのことです。

 

不登校の初期から日にちがたつにつれ、

息子の様子がだんだんと変わってきました。

 

あの頃の息子を言葉で表すと、

「こころが、ささくれだっている」

そんな感じでした。

 

不登校という、

「形」としてあらわれるずっと以前から

本人の中では、

いろいろな不満がたまっていたのだと思います。

 

その不満やうっぷんを解消しようとするかのように

暴力的だったり、

攻撃的な態度がみられるようになりました。

 

言葉の使い方にこだわりのある長男は、

家庭生活の何気ない日常会話の中で、

 

「その言葉を使うのは

おかしいでしょ」

などと言い出して、

 

それによって、

その場の雰囲気がわるくなる場面が

ちょくちょくありました。

 

またその延長で、

母親に悪態をついたり、

弟へちょっかいを出したりして、

 

思い通りにならないと、

大きな声でどなり散らしたり

することもありました。

 

母親はそれを許容できずに感情的になり、

言い返すこともありました。

冷静でいられるほうが、

難しい場面だったと思います。

 

弟(二男)は、

がまんの限界を超えたときは

 

反撃もしましたが、

涙を流していたこともありました。

 

二男は、あるとき私に、

「なんで俺だけ我慢しなきゃならないの」

という言葉を口に出したことが記憶にあります。

 

その問いに対し、

言葉での説明で、

二男の理解を得るのは難しい状況でした。

 

何とかしなければならない状況で、

私がとった行動は

二男への「サポート」でした。

 

宿題を見てやり、

風呂に一緒に入って頭を洗ってやり、

 

布団に入ってからも、体をくっつけて、

たわいのない話をして笑わせて

リラックスさせて寝付かせました。

 

まあ、自己満足であり、

リラックスさせたつもりに

なっていただけかもしれません。

 

でもそれが、

二男に悪影響を及ぼすことを阻止するうえで

その場でやらなくてはならないことでした。

 

ぶっちゃけて言えば、

私のレベルではそのくらいしか出来ることが

思い浮かばなかったというのが

正直なところです。

 

言葉へのこだわりの話に戻ります。

 

息子が放った、

 

「その言葉を

使うのはおかしいでしょ」

という言葉は、

 

文法的に、

「その言葉を使うのはおかしいでしょ」

というレベルでの話(会話の内容)ではなかったんです。

(国会中継を聞いている場面ではないのですから)

 

日常会話って、

「言葉のあや」とでもいいますか、

「もともと悪意のない、

たわいのない単純な言い間違い」だったりと

 

そりゃあ、

たしかに、その場面において、

適切で、適格、

適当なことばが選択されていないかもしれないけど

 

「おかしいでしょ」

と指摘するほど、

それほどのことではないと思うんですよね。

 

でも、息子にしてみれば

気になっちゃったし、

 

言わなきゃ気が済まないし、

ってなことだと思います。

 

ただ、言葉へのこだわりが強かった時期から比べると

今はだいぶ落ち着いていますから、

 

その時期(不登校初期)であったから、

それまでため込んでいた不満が

そういうところに顕著に現れた、

 

自己主張したかった、

という側面はあると思います。

 

今は、冷静に書いていますけど、

当時、そんなことが毎日が続く中で、

 

私は、

もーう、それはソレは、いやになって、嫌になって、

 

先は見えないし、

不登校という問題だけでなく、

「言葉へのこだわり」

ということにも、なんとかしなくちゃならない、

 

どうしたらいいんだ?

どうやったら切り開けるんだろう?

単純に、

再登校というレールに戻すだけでは済まないな・・・。

 

と、

あれやこれやと考えてしまい、

結果、

自分で自分をどんどん思いつめてしまって

衝動的に

自分で自分の顔を

ブン殴ったときがあります。

ゲンコで何回も。

 

次の日、

当然、顔面が蒼く腫れて(通称:青タン)しまいました。

 

そして、

腫れが引く前に学校で受ける、

スクールカウンセリングの日が来てしまいました。

 

顔面に青タンを作ったままでカウンセリングに行ったら、

当然、目立ちますし、

 

先生たちにしてみたら、

「何事か!」

となるでしょう。

 

そのままの姿で、

学校に行くわけにもいかず、

 

眼帯をしてスクールカウンセリングを受けた記憶があります。

 

カウンセリングの先生に

「大丈夫ですか?お父さん」

って言われました。

 

目の病気で、眼帯をしているのではないことは

カウンセリングの先生にはわかっていたと思います。

 

あとで考えれば、

自傷行為という愚かな私の行動だったわけですが、

 

「不登校になったのは親(自分)のせい?」

って考えてしまうと

精神的におかしくなっちゃうんですよ、

自分自身が。

 

別なエピソードもあります。

やはり、

不登校の男の子を持った経験のある

会社の同僚(お母さんです)の話なのですが、

 

その方のお子さんが不登校であった、

数年前のことを振り返って、

つい先日、

こんな事をおっしゃっていました。

 

「(あの頃)

息子が死んでくれないかなって思ってた」 と。

 

これ、ノンフィクション。

実話です、話、盛っていません。

 

このように、

「子供が不登校になったのは、親のせいだ」

というように

深ーく考えすぎちゃうと

精神的におかしくなってしまいます。

 

自分のせいだと思いつめていたら、

私のように、自傷行為にまで発展しちゃうんです。

 

そして、家の中の雰囲気も、

暗く、険悪になってきました。

 

妻に何かを言われたときなど、

まるで、自分を全否定されているかのように聞こえてしまうんですよね。

 

「そんなに俺が悪いのか!」

 

台所で洗い物をしながら話しかけてきた妻に、

声を荒げてしまったことがありました。

 

話しかける方も、

だんだんストレスが溜まってきていますから、

 

そもそも、

オブラートに包んだような、

配慮した話し方はしません。

出来ないんです。

 

そもそも、

心に余裕がありませんから。

 

結果、家の中がどよーんとした雰囲気に

なってしまったわけです。

負のスパイラルにはまってしまうのです。

 

だからあの時、

「俺(親)のせいなの?」

なんて、

思ってはいけなかったんだなって思うんです。

 

これはもう、

強く意識して、

思わないようにしなくてはいけなかったんですね。

 

もしかして、

親である自分が

不登校にさせてしまったのか?

 

そう、考えちゃったことで

いろんなことが、

さらに更におかしくなっていっちゃったんです。

 

ただでさえ、あの当時、

我が息子は、不登校の状態にあり、

 

「どうしたらいいんだろう」

「これから、

どうなっていくんだろう、俺は」

 

と、不安だらけで、

小さな胸を痛めていたことでしょう。

こころが揺れ動いていて、

まさに不安定な状態だったと思います。

 

そんな中で、

いわば、

「どっしりと、安定した地盤」

でならなかった親(私)が、

 

安定した状態で、

家庭内の指揮をとらねばならなかった私が、

おかしくなってなどいられなかったのです。

 

そして、

私がおかしくなって、

不安定な状態だということは

息子も感じていたと思います。

 

いや、断言できますが、

感じていました。

何度も言ってすいません。

 

あのとき、親である私が、

おかしくなってなどいられなかったのです。

 

おかしくなっていなかったとしても、

これからいろいろなことを

乗り越えていかなければならない状況に

変わりはなかったのです。

 

おかしくなっていないほうが、

まだ、柔軟性があります。

 

少しでも柔軟性が高いほうが、

いろいろなことへの対応が可能です。

 

親がおかしくならないこと。

 

これが一番重要です。

「俺(親)のせいなの?」

なんてことは、考えない。

 

そのようにうけとめないことが

一番の得策だったと気づいたのは、

不登校開始から数年経過していました。

私が、「自分のせい?」と思った理由

過去の私は、息子が不登校になったのは、自分のせいだと思い詰めていました。

その理由は、2つあります。

自分と息子の共通点

幼いころから些細なことでかんしゃくを起す息子を見て、

自分の幼いころも同じような様子であったことを思い出し、

息子と私の「共通点」を感じていました。

 

子供のころ、

わたしももよくかんしゃくを起こして

親からは、

 

「なんでお前はそんなに短気なんだ、

短気だと自分が損をするんだぞ」

と言われていたんです。

 

私自身が、

何に対してイラついているのかわからないのに、

 

親からは、私自身に問題があるように言われ、

さらにイライラした記憶があります。

 

息子が保育園に通っていたころのエピソードがあるんです。

 

私と長男と次男の三人で

「私がボールを下手で投げて、

おもちゃのバットでボールを打ちかえす」

という遊びをしている場面です。

 

男の子がいる家庭なら、

よくある光景だと思います。

 

私が投げて、息子たちに10球ずつ、

かわりばんこに打たせていました。

弟は、

打てなくても、まあ、

そんなものかと楽しんで遊んでいました。

 

長男は、

自分が思うように打てないと、

いらだって怒るんです。

 

かんしゃくを起すんです。

「まあまあ」となだめると、

余計にひどくなるんです。

 

打てなかったのは、

私が投げる球のコントロールも

悪かったこともあるでしょう。

 

でも、

「投げた球を打ち返す」という、

ただのお遊びです。

 

あるとき、

息子にこう言ったときがあります。

 

「お前ね、

そうやって怒ってばかりいると、

友達がいなくなるよ」と。

 

それから何年か経った、

不登校になる4か月くらい前の、

当時4年生の10月頃だったと思います。

 

保育園のころから、

かんしゃくを起こす息子のことを心配して、

病院に連れて行ったんです。

 

小児科でしたが、

子供の発達や不登校のことなども相談できる病院で、

そこで「WISC(ウイスク)」という、

知能検査を受けました。

 

息子がウイスク検査で

発達障害と診断されたことから、

 

もし、自分もあの当時、

検査を受けたら同じ診断になるだろうと思いました。

 

「自分のせい」と思い詰めた一つ目の理由は、

「息子の発達障害は、

私から遺伝したものではないか」

という点にあります。

私と私の両親との親子関係

二つ目の理由は、

私と私の両親との親子関係についてです。

わたしは、

小学校高学年くらいから

両親との日常会話は、ほぼありませんでした。

 

母親とは必要最低限の会話はありましたが、

父親とは、

ほぼほぼ、会話はありませんでした。

 

なぜかといえば、

父親に対する反発が

あったからだと思います。

 

両親の夫婦喧嘩は、

頻繁にではありませんでしたが

記憶にあります。

 

私の父親は、

私の母親の

「言い分を聞こう」

とする姿勢はありませんでした。

 

母親の発言を、

聞いたか、聞かないかで言えば、

母親が発言したあとに、

 

それを否定していましたので

「聞いてはいた」と思います。

 

ただ、母親が発言する前から、

返す言葉を決めていたように思います。

 

要するに、

「聞いているだけで、

聴いていない」のです。

最初から、

「聴く耳を持っていない、

持とうともしていない」のです。

 

そういう事に対する反発は、

子供のころからありました。

 

私が結婚し、

両親と同居するようになってからも

状況が改善することはありませんでした。

 

そんな環境のなかで、息子は育ちましたから、

息子にとっては、

少なくても良い生活環境でなかったと思います。

 

私が自分の父親と、

ロクに口を利かないのを普段から見ているわけですから、

「それでいいんだ」

そう、息子が思っても不思議はありません。

思い詰めて、何かが好転したか?

私が、「息子が不登校になったのは俺のせいでは?」

と思ったのは、

そういった、

「自分自身に思い当たること」

があったからです。

 

その結果、「自分のせい」と思い詰めて

自分自身をブン殴るという、

自傷行為にまで発展したわけですが、

 

じゃあ、それによって何かが好転したか?といえば、

何も良くはなりませんでした。

青アザまで作るほどの意味は無かったのです。

 

私の顔のアザは、当然、

息子の目にも入っていたと思います。

そんなものを目にして

いい気分になどなるはずがありません。

 

しかし、

自分自身をブン殴った、あの当時は、

「自分のせいだと思ってはダメなんだ、

なぜならば、それによって自分がつぶれてしまうから」

 

なんてことを考える、

心の余裕は、私には無かったのです。

 

どーにも、こーにもならなくなって、

そういう行為に及んでしまったのです。

 

もしあの当時に、私の身近に

自分も同じような経験をされたことのある方がいて、

経験に基づいたアドバイスをくれていたなら、

自傷行為にまで至ることは無かったでしょう。

 

自分のせいだと思い詰めては

いけなかったのだと後悔しています。

 

自分の場合、自傷行為でとどまって

まだ幸いでした。

 

自分のせいだと思い詰めて、

思い詰め過ぎて、

最悪の事態になることだって考えられます。

 

私自身の、

実体験をお話しした事で雰囲気が伝わったかと思いますが、

 

「親が思い詰める」

 

ということは、

そもそも問題解決に

ならないのです。

 

そして、なにより

ますます、

我が子にプレッシャーがかかることにもなってしまうのです。

 

そもそも不登校には、

大きく3つの原因があります。

学校の原因、家庭の原因、本人の心身による原因です。

 

そして、その3つの原因は、

単独というより、複雑に絡み合っています。

 

「自分のせいでは?」と、

なんでもかんでもひっくるめて

思い詰めてしまうと、

おかしな方向に進んでいってしまいます。

 

しかしながら、

「自分のせい」とは捉えてはいけないのですが、

 

「自分のせい」と思い詰める方向で考えるのではなく、

「これからの子育てに生かすために、

これから出来ることを、

どのようにやって行こうか」

 

そのような、

「前向きな発想」を持ち、

これまでを振り返ってみる必要はあると思います。

 

これまでの自分の親としての行動に、

見直すべき点はないのか?

 

そういう発想や視点を持つことは、

「とても前向きなことであり、

なにより、意味があること」だと思います。

 

そこで、「不登校になる子を持つ親の特徴」

を挙げていきたいと思います。

「不登校になる子を持つ親の特徴」

  • 子に過干渉、過保護、心配性、子を管理したいタイプ

⇒親の過剰な関わりにより、子供の自己決断力(自分で考えることや行動の経験を奪う)が育たない。

  • 子を感情的に非難してしまうタイプ

⇒親が感情的になって子を非難することにより、子が嘘をついたり、コミュニケーション能力が不足する。(自己解決能力が育たない)

  • 子をほめて伸ばそうとするタイプ

⇒おだてることにもなり、退行や王様気分にさせてしまう。

  • 子にルールや条件を付けるタイプ

⇒条件やルールがないと、動かなくなる。

  • 子を放任するタイプ

⇒自分は認められていないと感じ、精神面で不安定になる。

ご自身のこれまでの子育てを振り返ったときに

上記の項目に当てはまるようであれば、

「改善しなければならない」

ということになります。

 

上記の項目については、

私自身、ネット上の記事を読んだときに、

 

「なるほど、子供にそのような関わりをしていたら、

そりゃ、不登校にもなりうるわな」

と思える記事でした。

 

ただ、自分自身に当てはめた場合、

「どの項目も少しずつはあるよな」

という気がするんです。

 

なんと言いますか、

「それちょっと、

やっちゃったことがあるよな」

 

というくらいなのは、

どなたにでもあると思うのです。

 

ただ、

自分では、「やっちゃったことがあるよな」

ぐらいの認識であっても、

 

子供からしてみれば

それが大きな負担になって

いたのかもしれません。

 

自分の感覚で勝手な解釈をするのではなく、

子供の気持ちで、そして、

子供目線で考える必要があります。

少しでも思い当たることがあれば、

改善が必要です。

 

ちなみに当時、私は、なにも分かっていなくて

改善しなくてはという感覚を持っていませんでした。

ちなみに、私の失敗です

私の場合で考えてみました。

「過干渉、過保護、心配性」のあたりが該当すると思います。

 

ただ、

あまりにも度を超えた干渉や保護、

 

心配があったかと言えば

それほどまでではないと思います。

 

「子供の自己決断力」を

積極的に育てようするならば、

 

干渉や保護の中身をもう少し工夫するべきだった

とは反省しています。

 

どういう事かと言いますと、

何をやっていた場面だったか覚えていないのですが、

 

息子が「これ、どうやってやるの?」

と聞いてきたことがありました。

 

それに対し私は、

「自分で考えてみて」

と言った記憶があります。

 

ある意味、

「放任タイプ」のようなことをしたのだと思います。

 

それを言われた息子は、

「突き放された」と思ったのかもしれません。

 

「自分で考えてっていわれたってさあ」

とぶぜんとしていたように思います。

 

同じことを言うのでも、

「自分で考えてみて」

と突き放した言い方ではなく、

 

「これとこれが、

こういう風に組み合ってるから、

こう考えたらどうなるかな」

 

そんな風に、

段階を踏み、

丁寧に説明すべきだったと思います。

 

そのあと、

息子は弟に対して、

私に言われたことと同じことを言っていました。

 

「自分で考えてみて」

と。

 

その言葉に、

「俺も、そういわれたんだから、

 

お前(弟)にも言ってやる」

というようなニュアンスを感じました。

 

息子が不登校になってから、

わたしは、

「この子の心の中に、

 

ストンと腑に落ちる説明をするには、

どう言えばよいか」

それを常に考えて意識していました。

まとめ

不登校 親のせい という内容でお話してきました。

  • 「俺(親)のせいなの?」と思ってはいけない理由
  • 私が、「自分のせい?」と思った理由
  • 思い詰めて、何かが好転したか?
  • 「不登校になる子を持つ親の特徴」

自分に思い当たる点は改善する、

今後、前向きな考えをしていくうえで、

これまでの振り返りが必要です。

 

実体験をもとに書かせていただきましたが、

自分自身、「完了形」ではなく、

「現在進行形」です。

 

「現在進行形」であるということは、

「まだまだ、頑張らなくてはいけない」ということです。

 

自分自身にそのように言い聞かせて、おっさんは頑張ります!


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